発売から14年経つ今も高い人気を誇る対戦ゲーム、スマブラDX。今なお全国各地にプレイヤーが存在し、日々対戦オフ会が行われている。そんな中、近年一際精力的な活動により注目を集めている、スマブラDXのホットスポットとも言える地域が存在していることを皆さんはご存知だろうか。

 そう、愛知県名古屋市である。

今回の遠征に際して、当初私は関東大会BGWと関西大会Crazy Handの開催日に、5日の開きがあることについて懸念していた。 果たしてこの空白の期間をどう埋め合わせたものか・・・?頭を抱える私。そこにあるとき、突如救いの手が差し伸べられた。名古屋でオフを開いているヤマネコさんが、空白の5日間に私達を名古屋オフに滞在させても良いと申し出てくれたのだ。願ってもない提案に頭が上がらない。喜んで承諾させていただいた。こうして私達三人はBGW終了後、名古屋のヤマネコ宅に滞在させていただくこととなった。

 ヤマネコさんはこれまで直接の面識こそ無かったものの、TwitterやSkypeでは幾度と無く(時には言語の壁をも越えたコミュニケーションを持ってして)交流を繰り返してきた相手であった。そんなヤマネコさんに今回遂に対面できる機会が与えられた。

 それでは前記事に引き続き、時系列に沿って遠征オフレポを書き連ねていきたいと思う。

・5日目(8/10(月))

 かきぴー宅で夜を明かした私達。適当な時間に出て名古屋に向かおうくらいに考えていたのだが、ここで大きな誤算が明らかになった。北の地の人間である私達にとって、名古屋も東京も等しく日本列島の右下にある所くらいの認識しか持ち合わせていなかったのだが、実は名古屋と東京は思ってたより遠かったのだ。

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                                    近くね

 しかし、いざ電車でのルートを調べてみると、実に10時間近い時間を要することが明らかになった。めんどくさ・・・とテンションだだ下がりし諦めかけた一行であったが、ここで帰るのもなんか違うため早々にかきぴー宅を出発し、青春18切符を購入するべく駅へと向かった。

 三人とも青春18切符を用いた移動は初めてであったため、そのシステムが最初はよく分からなかったが、二日さんが色々やってくれたため何とか移動の見通しは立った。(私とウルカビさんは終始スマホをいじってたりニヤついてたりしていた)

 この日はひたすら電車移動と乗り換えを繰り返すだけの一日であった。長時間の移動というのは実に退屈な単純作業と時間浪費の連続であり、私達の体力はゴリゴリ削られ、精神は徐々に荒廃していった。四日前に仙台のバス内で優先席に座ることを躊躇っていた二日さんは率先して優先席にドカドカ座りこむようになり、ウルカビさんのしょうもない小話に対する私達二人の反応は目を見張るほど辛辣なものとなっていった。

 そして移動を繰り返すこと約10時間、遂に私達は名古屋駅に到着した。既に精神の荒廃しきった私達だがなんとか理性を振り絞り仲良し三人組のていを保ちながら名古屋名物味噌カツを食べに行った。

    
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                       名古屋名物味噌カツ

 美味しく味噌カツをいただいた私達は、ヤマネコさんと連絡を取りながらもう一本分だけ乗り換えをし、遂にヤマネコさんと合流した。直後に名古屋勢のbitouさんとも合流し、そのままヤマネコ宅へ向かった。ヤマネコ宅に着いてからはシャワーをお借りした後ちょっとだけ対戦した。

 終盤になると、精神の荒廃した二日さんが同じく精神の荒廃したウルカビさんを下スマゴリゴリピーチで苛め始めた。理性を失っているウルカビさんにはいつもの余裕は無く、フリーなのに捨てゲーしてリセットしたり罵声を浴びせたりしていた。二日さんも負けじと皮肉を言ったり罵声を浴びせたりしていた。私は一方的にいたぶられているウルカビさんをひたすら隣で煽ったり罵声を浴びせたりしていた。そこに共に旅をした者達の絆はなかった。多分ヤマネコさんはドン引きしてたと思う。そのうち流れで就寝した。

・6日目(8/11(火))~7日目(8/10(水))

 6日目、7日目の2日間は終日ヤマネコ宅でスマブラ三昧で、起こった事の時系列が曖昧であるためまとめて書き連ねることにする。

 前日一夜にして絆を失った私達であったが、三人とも大人らしく過去のことは水に流そうというシンパシーを暗黙の内に働かせ誰一人昨夜の惨状に言及しようとはしなかった。

 さてヤマネコ宅で目を覚ますと、名古屋のファルコン使いのやまげさんが朝早くからヤマネコ宅に来ていた。洗顔を済ませ皆でコンビニに行くなどし、その後ワイワイ対戦を始めた。そのうちどんどん名古屋勢や他の遠征勢などがヤマネコ宅に現れた。今回ヤマネコ宅に訪れたプレイヤーは私達の他ヤマネコbitouやまげサハラNEGしゃちょーながいもモッチーMAVUぐっぴプラタSamurAI(敬称略)と総勢15名にも及んだ。

 ヤマネコさんは家主であるにも関わらず今回の大会には参加しないということであまり対戦には参加せず、大会に参加する私達の対戦数を優先してくれた。お心遣いに感謝である。ネトデラでは何度か対戦したものの実機での対戦は今回が初めてであった。

 サハラさんはBGWの予選で当たったシーク使いのプレイヤー。大会では投げ連有りミラーで冷え冷えの対戦しかしなかったが、オフでは投げ連無しの紳士対戦のみを行った。台周りの立ち回りや復帰関連での修練度に大きな差を感じた。

 やまげさんはファルコンメインのプレイヤーで、どうやら5~6年ほど前に関西で活動していた古参勢ということだった。ステップ戦や対戦の理解のそれがいかにも古参らしかった。フォックスとかも普通に強かった。

 bitouさんは名古屋ではおそらく最強のプレイヤーであり、マルスやフォックスなどを使用していた。特にフォックスは一度ターンを取られてからの展開が圧倒的であった。

 NEGさんはネトデラでは何度も対戦したことのあるピーチ使いで、実機で対戦するのを前から楽しみにしていた。短いオフ歴に反して丁寧で強いピーチ。

 しゃちょーさんはフォックスやらマルスやらを使ってた。とても強かった。

 ながいもさんはファルコンを使ってた。強かった。

 モッチーさんはアイクラ使ってた。強かった。

 MAVUさんはドクター使いで強かった。

 ぐっぴさんはプリン使いで強かった

 プラタさんはヨッシー強かった

 さむらいさんシーク強かった

 名古屋では本当に色んなプレイヤー、色んなキャラクターと対戦することができて非常に有意義なオフであった。しかし、この名古屋オフにおいて、ひとつの哀しい事件が起こってしまった。

~悲劇その4~

 悲惨な事件が、ここ名古屋で起きてしまった。

 結論から述べると、私、二日未満さん、他ほぼ全ての名古屋勢が今回のオフでウルカビさんによって引退に追い込まれたのだ。

 事の顛末はこうだ。

   誰かが新規勢のウルカビさんに負けたら引退するなど言って茶化す

                 ↓

              本当に負けてしまう

                 ↓

敗北即引退ルールは他のプレイヤー相手においても適用される事実が明らかになる(なんかそうなった)

 これはたとえどのようなルール・カードであっても、ウルカビさんの提案した対戦は決して拒否することが出来ず、負けたらスマ界を即引退という非情なものであった。(私は1スト対4ストでやって負けてあえなく引退した)

 こうして悲劇は始まった。

 

 たとえプレイヤー間に力量差があろうと、4日も対戦しまくっていればどこかで一試合落とすくらいは全然ある。ましてやウルカビさんの前ではどんなカードであろうとも試合の提案は断れないのだ。(私が他のテレビ台で対戦しているとき隣からロイミラーやりましょう!と言ってるウルカビさんの声が聞こえてきた)こうして私達や名古屋勢の多くはやむなく引退することにした。

 また、この騒動に伴い「いんかく」(引退確定の略)という用語も生まれた。

 使用例:これはいんかくだ / いんかくが見える / いんかくに先端当て etc…

 東北地方のスマブラ界隈の発展に日々力を注いでいるウルカビさん。そのウルカビさん自身の手によって、スマブラの道が閉ざされてしまうプレイヤーが続出してしまうとはなんとも皮肉なものである。ウルカビさんを中心にスマブラの風は途切れてゆき、彼の通った後には草一つ残らない。そんなことを二日さんと言いながら、私達は彼が背負ってしまった哀しい運命を憂いたのであった。その特異な力からウルカビさんは名古屋勢からINTI(インティ)という呼び名がつけられた。以降、旅の道中でウルカビさんは私たちにたびたびINTIと呼ばれることになるのであった。使用例:INTI岩手帰れ

 そんなこんなで私達は名古屋での四日間を存分に満喫することができた。6日目の夜はサハラさんの家で、7日目の夜は再びヤマネコさんの家に宿泊させていただいた。BGWでの敗因を考えながら短期間で集中的に対戦を重ね、次なる大会・クレハンに繋がる腕鳴らしを十分に行うことができたと思う。それらは全て、私達を快く引き受けてくださった名古屋勢の方々のお陰である。泊めてくださったヤマネコさん、サハラさん、対戦していただいた名古屋勢、および遠征勢の方々には深く感謝を願いたい。皆さん本当にどうもありがとうございました。

 これにて名古屋での短期集中武者修行は終わり、8日目以降私達は遂に最終遠征地、大阪へと向かう。ここで一旦記事を切り上げ、次の記事、大阪編へと移りたいと思う。それではまた。

 
元記事はこちら:http://sigh1.hatenablog.com/entry/2015/08/29/061928